20日目・いまであることの必然性

今日は休みで、夫と二人で米沢までドライブした。
家から約一時間半。
何回か行ったことがあるけど、途中関川村、小国町を通り、山と川がものすごく近い、お気に入りのコース。

車の中で、音楽を聞きながら信号のほとんどない山道や田舎の中を走っていると、思いがけない過去の思い出が、ふっとよみがえったりする。
私は高校生くらいの、いま以上に不器用だった思春期の、ほろ苦い感覚を思い出したりしていた。

当時仲が良かった友達は、その頃歯の矯正をしていた。
(その頃の私は、自分も歯並びが良くないとは思っていたけど、まさか本当にやることになるとは全く思っていなかった。しかも30過ぎてから…。)
彼女は早々に結婚して、20代の理想的な(と一般に思われている)年齢で子供を産んで、二人の母親として、いまでは仕事にも復帰している。

人よりも、遅い自分。

人と比べると、時々しんどい。

でも、そのまま車から外の景色を眺めながら、
新潟と山形の冬の景色の中に、自分がいま確実に「いる」ことを感じたら、

やっぱり私には、「いま」だったんだと、なんとなく思った。